満ち足りて優しく生きるための覚書

自分を好きになる、自分に生まれてよかったと言える、満足して、自分にも人にも優しくなれる、そんな人生にしたい。

ダメなことじゃなかったと気づく

自分に自信がないと、つい「ダメな私」「できない私」と自分を責めて低く見てしまいがち。

でも、完璧な人はいないのだから、できない自分を責めなくていいんだよ。

ダメなんかじゃないんだよ。

「私は○○ができないからダメ。だからできるようになろう」と思って、努力してできるようになったこともたくさんあったと思う。それも成長の一つ。

でも、「できなくてもいいんだよ」と認めたり、許したりすることも成長の一つだよ。

人は持ちつ持たれつ。

できることはみんな違うのだから、できない時はできる人にやってもらえばいい。

やり方を教えてもらえばいい。できる人が上で、できない人が下、と上下関係を作る必要はない。できない人がいるから、できる人は能力を発揮することができる。人を助けることができる。

確かに子供は親に教えてもらって成長する。けど、親が上、子供が下、ということはない。親だって子供から学ぶことはたくさんある。

 

以前も書いたことがあるが、例えば、仕事ができる人は何でもスピードが速い、仕事できない人は遅い、というイメージがあるが、それは仕事の内容によっては「早い=良い、遅い=ダメ」と一概には言えないのはわかることと思う。

私は子供のころから、何でもやることが遅くて、のろいと言われたことがあった。

「遅い=ダメ」と思い込み、常に時間を計って何でも早くできるように頑張った。ある程度は早くできるようになったこともある。でも、早くできても抜けてたり、ぞんざいだったりすることもあった。「遅い=ダメ」と人に思われたくなくて、人の目が気になって、スピード命になっていたんだ。遅くても、丁寧に間違いなくやる方が信頼はできるよね。ただ、スピードを求められるところに私は合わなかっただけだ。物を作るとか、直すとか、他にもいろいろ、スピードを求められない仕事だったら、活かせたはずだよね。

それは、良い、悪いではなく、ただそうある、というだけのこと。

「ダメだと思っていたことはダメじゃなかったんだ」と気づいて許してあげられるようになることが、本当の自分に近づく、成長の一つ。

今まで、ムリして自分らしくないことを頑張ってた。できるようになるために努力したことは素晴らしいことだけど、できなかったからって自分の価値が下がるわけではないんだよ。自分にはできないけど、できることが他にある。それをやればいいのだから。

 

例えば、コンプレックスがあって、これさえなければ、とか、ここがこうなってれば、とか、思うことがあると思う。

でも、イヤだ、嫌いだ、こんな私ダメだ、と思っているのは自分だけかもしれないよ。

例えば、自分の声が嫌いで、もう少しきれいな声だったらよかったのに、と思うとする。けど、特徴的な声は、その人だけのもの。その声が素敵!と思う人もいるのである。歌手になったり、声優になったりして、活かすことができる。ファンもできる。

ダメじゃなかったって認めることができたら、本当に幸せだよね。

 

私は身長が低いのだけど、「身長低い私、かっこ悪い、恥ずかしい」と思ってた。

既製服は合うものがないし、電車でもつり革に手が届かなかったり、上の棚に荷物乗せられないとか、いろいろ、背が低くて良かったためしがない。

でも、身長って自分の力ではどうしようもないんだよね。体重なら自分で調整できるけど。だから、自分でどうにもできないことは悩んでも仕方ない。

高い所には手が届かないけど、脚立を使えばいいもんね。

 

自分が、ダメだと思っていたことや、物を、ダメじゃなかったんだと気づくことができたら、許せるようになったら、気持ちがラクになるよ。

皆が、皆のできないところをカバーしあう、優しい世界になればいいと思うんだよね。