満ち足りて優しく生きるための覚書

自分を好きになる、自分に生まれてよかったと言える、満足して、自分にも人にも優しくなれる、そんな人生にしたい。

スピード命?

自分らしく生きることとは、自分の気持ちに従って生きることである。

それがなかなか難しい。

さいころから、親や周りの大人たち、環境によって、さまざまなことをしつけられ、言われて育ってくる中で、学んできたことや、「これが私」と他の人から植え付けられたイメージをそのまま自分だと思ってしまう。

例えば、親から「あんたって子は○○なんだから!」と言われると、子供は「そうなのか、私は○○なのか、じゃあ、××にならなければいけない!」と思う。そして、それが自分と思うようになる。

もちろん、それを学んで成長できることもたくさんあるし、一概に悪いこととは言えないが。

 

例えば、私の場合。

子供の頃、通信簿の中に、親から見た子どもの長所短所を書く欄があって、短所の欄に「のろま」と書かれたことがあった。親は、特に気にしていたわけではないが、強いて言えば、それ、なだけであった。

しかし、横からちらっとのぞき見してしまった私は、「私の短所はのろいことなんだ、それは悪いことなんだ、親はそれをダメだと思ってるんだ」と思い込んだ。

「早いことは良い、遅いことはダメ」と。

私は、本当にどんくさかった。給食食べるのも、着替えるのも、走るのも、何かを準備するのも・・・。でも、それまでは別に気にしてなかったのだけど、それを見てからは、何でもスピードアップするように頑張った。親に認めてもらいたかったんだろう。

自分の能力を超えて頑張るから、できるようになって嬉しいこともあるけど、失敗も多い。でも、本当に頑張ったんだよ。

そこそこ、何でも早くできるようになった。

 

仕事でも、時間内に仕事が終わる人は優秀、できなくて残業する人は能力がない、という風に思い、残業するから、能力がない人の方が給料が良かったりするのはおかしいのでは?とも思ったりした。

早くできるようになろうと、めちゃくちゃ努力した私は、逆に遅い人が嫌いだった。

「何でもっと早くできないの?」「早くできるように、努力しなさいよ!私はやったわよ。」と思うようになった。ホントにイヤな人だったね、私は。

そして、常に時間に追われるようになった。

無駄な時間を過ごすのが嫌いだった。

何かやることはないか、手持無沙汰はダメなこと、この隙間時間にも何かできることがあるはず、「Don’t Stop」常に動いていなきゃ!みたいな感じで、詰め込みすぎた。

あれやってこれやって、次はあれやってこれやって、と常に忙しい。そして常に疲れていた。飲食店というのはどこもそういうものかもしれない。

かなり無理してたよね。仕事できる人に見られたかったしね。

まぁ、仕事できる人ではないことはバレてただろうけどね。

努力してスピードアップできるようになったことは良かったのかもしれないけど、それを人にも押し付けてたり、無理してたり、辛かったり、楽しくなかったりする。

元々、のんびり屋さんなのに、自分らしくなかったから当たり前なんだよな。

 

遅いことが悪いことではないということもあるよね。

別の言い方をすれば、丁寧に行うのは良いことだもの。 

以前、通っていた製菓学校で、お菓子の家を作ったことがある。

私は、クラスで最後になりたくなくて、早く仕上げたくて、適当にパパっと作ったけど、隣の友人は、それはそれは楽しそうに、じっくりと思いを込めて、丁寧に作り上げ、一番最後だったけど、とても納得し満足げだった。それを見て、すごいと思ったのだ。あの満足げな顔は今でも忘れない。

自分らしく、楽しく、納得のいくように、満足できるように、丁寧に作り上げる。自分の気持ちを大事にしていた。私にはできなかった。本当はそうしたかったのに。作るのを楽しみたかったのに。

でも、自分が楽しむ気持ちより、人の目が気になってたのだ。遅いのがダメだと思ってたからだ。そんなことないのにね。

 

そして、お店をやり始めたころ、まだまだスピード命みたいに思ってた。

お客様のオーダーを早く出す、温かいものを温かいうちに、冷たいものを冷たいうちに出す、というのがもちろん当たり前のことだ。

だから、オーダーを作っている時に、レジに来られたリ、他の用事を言われるのがとても嫌だった。遅くなるからだ。それにオーダーが重なると大変になるから、早くこなしてしまいたかった。「遅い」というイメージがついてしまって、お客様が離れていくのが怖かった。

でも、本当に大事なことは、「早く出す」ということだけではなく、心地よいペースで、心地よく接するということだ。

早く早く、と思っていると、余裕がなく、キリキリイライラして、顔が怖くなる。

焦ってよいサービスはできない。

早くできなくても、精一杯やっていることは、お客様はわかってくれているのだから、焦らなくていいのに。

何年も何年もかけて、ようやく最近は、自分のペースで楽にできるようになってきた。

今でも、「できるだけ早く」とは思うけど、「できなくても精いっぱいやってる」と自分を許せるようになった。そして、「お客様もそれをわかってくれる」と信じられるようになった。それでだめなら、残念ながらそのお客様と私は合わない、というだけのことだ。

それでもいいのだ。それでいいのだ。と今は思う。

 

物事によって、スピードが大切なこともあるけど、ゆっくりじっくりが大切なこともある。当たり前のこと。

 

私は、自然体で、自分のペースで無理なく生きようと思う。

もっと、余裕を持って生きたいと思う。時間に追われることなく。

今まで詰め込みすぎていた「やるべきこと」を少しずつ手放して。

無駄に過ごしてもいいって。遅くてもいいって。深呼吸して。

自分が心地よいペースでやろう。

人の目より、自分の心重視だよ。