満ち足りて優しく生きるための覚書

自分を好きになる、自分に生まれてよかったと言える、満足して、自分にも人にも優しくなれる、そんな人生にしたい。

苦手な人、嫌いな人いて当たり前

自分に気持ちを見ていくとき、無意識だった時にはわからなかったけど、意識するようになると、「なんて、自分はひどいことを思っているんだ」って自分を責めてしまう。

それは、責めなくていいんだよ。

ただ、自分はそう感じているんだな、ってわかればいいんだよ。

 

私は、当時、苦手なお客様や、嫌いなお客様が多かった。

お客様が来てくださるのおかげで、お店をやっていけているというのに、感謝の気持ちがなかったよ…。「せっかく、お客様は、このお店を好きで来てくださるのに、その人を嫌うなんて、なんて私酷い人!」って思って、私は私をすごく責めてた。

とあるツインブログで、「無償の愛が分かると、嫌いな人がいなくなる。そういう状態になったら、ツインと結ばれる」というようなことが書かれていた。

私は早くその域に到達したくて、「嫌いな人がいるうちはツインソウルと結ばれないんだ」なんて思って、ムリヤリ、「嫌いな人を好きにならなきゃ!」みたいに思ってた。大きな勘違いをしていた。

自分に無理させて、「人が嫌い」という自分のイヤな部分は見ないようにしてごまかそうとしてた。

 

苦手な人、嫌いな人がいるのは仕方のないこと。いてもいいんだよ。自分だって、誰からも好かれているわけではない、私を嫌いな人もいるだろう。

万人に好かれるということはあり得ないのだから。

だから、苦手な人や嫌いな人がいてもいいんだ。

大事なことは、自分がその人を見て何を感じているかを見ること。

その人の何が嫌なのか。

どうしてそれが気になるのか。

どうだったら許せるのか。

自分も同じことをしているのではないか(同族嫌悪)。

または、かつて同じことをしていたのではないか。それで人に嫌われたりしてたのではないか。

自分の見たくない部分をその人が持っていて、それを目にするのが嫌なのかもしれない。

または、自分がやりたくてもできないことをその人がやっているのかもしれない。

自分がダメだと禁止していることをその人がやっているのかもしれない。

イヤな理由のパターンがたくさん出てくる。

きっと、その人は、自分と似たところがあるのだ。

それをきちんと見ることが大事なのだ。

そして、客観的に見れて理由が分かったら、「そうか、そういう自分がいるのを気が付かせてくれるためにその人が私の前にいてくれているのか」と理解できる。

自分の中で一つ許せるようになる。解放できるようになる。成長する。

そうなれば、その苦手な人、嫌いな人にも感謝の気持ちが湧く。「気が付かせてくれてありがとう。」

苦手な人や嫌いな人は無理に好きにならなくてもいい。でも少しずつ苦手意識が薄れていくと思う。気にならなくなっていくと思う。ほおっておけるようになると思う。それでいいんじゃないかな。