満ち足りて優しく生きるための覚書

自分を好きになる、自分に生まれてよかったと言える、満足して、自分にも人にも優しくなれる、そんな人生にしたい。

等身大の自分でいる

ここ数年、「ありのままの自分でいる」という言葉をよく聞くようになった。

素の自分の姿を客観視できる人はどのくらいいるだろう。

できる人は、そもそもこんなブログを必要としていないので、目に入ることもないと思うけれど。

ありのままの自分、等身大の自分て、どんな自分?

素直に感じてみて。

たぶん、多くの人は、今の自分が本当の自分って思ってると思うけど、自分に自信を持てているかな?自信のない自分は本当の自分の姿じゃないよ。

自分を大きく見せることもなく、小さくさげすむこともなく、自分の気持ちに気づいて、大事に扱えているだろうか。

人と比べることもなく、比べて落ち込んだり、やきもち焼いたりすることもなく。

人の幸せを素直に喜べるだろうか?自分のことのように?

やりたいことをできているだろうか、言いたいことを表現できているだろうか。

心身ともに、時間に、体力に余裕があるだろうか。

良く寝て、よく食べ、運動しているか。

周りの人や家族に、お陰様の感謝の気持ちで接しているか。

自由か。自分らしくいられてるか。無理して周りに合わせてないか。

我慢してないか。

好きなことをすると、自然と力が出る。知りたくなる。努力する。それが努力とも思わずにどんどん吸収する。それが実力になる。

完璧な人はいないのだから、人の失敗も自分の失敗も寛容でありたい。

自分のできない面も、イヤな面も、自分で認め受け入れて許せているか。

そんな自分を大好きな人にも見せられるか。その人に言いたいこと言えるか。

 

 

ツインソウルの相手と思いたい人と出会った頃(まだ、その時はツインソウルという言葉を知らなかった。知ったのはずっと後のこと)、私は自分に自信がなく、大好きな人にすべてをさらけ出すなんて、到底考えられなかった。

大好きだった人は、私とは全く正反対の極にいるような人で、憧れと尊敬のまなざしで見つめていた。とても自信があるように見え、自分のことが大好きなように見え、やることなすことそつなくこなす人でとてもスマートに見え、自由で、行動力があって、自分のやりたいことをやっていた。いつも明るかったし、ラフな軽い雰囲気で、人を悪く言うことも聞いたことがなかった。

初めてあった時、目がとても美しいな、と思ったことを覚えている。

 

あんなふうになりたいな、でも自分には難しいかも。

もし、自分がパートナーとなってその人のそばにいるとなると、人生の修行に一番うってつけの人だな、自分とは最高に釣り合わない人だな、だからこそ一番必要な人なのかもしれない、と思った。

もちろん、その人には当時お付き合いしている人がいたし、年も離れていたので、あまり真剣にはなるまいと思っていた。ただ、見てる分には自分の励みや癒しになるし、楽しくて幸せなので、友達にでもなれれば御の字だな、なんて思っていた。

 

ありのままの自分とか、等身大の自分でいる、ということなんか、考えたこともなかった頃。

私が修行を始める準備が整った、と神様が用意してくれた人だったと思う。