満ち足りて優しく生きるための覚書

自分を好きになる、自分に生まれてよかったと言える、満足して、自分にも人にも優しくなれる、そんな人生にしたい。

愛情表現や量は人によって違う

これも、最近の記事とつながること、もう一つ書いておきたい。

私は、人が生きていくうえで、一番大事なことは「愛」を体現していくことだと思っている。自分に対しても、人に対しても、尊重し、大事に丁寧に思いやりをもって接する。自分らしく生きる、自分の軸で生きること、自分の可能性を信じて最大限に生かし命を使い切ること。

人によって、生きるテーマは違うだろうけど、根本はこれだろうと思う。

 

愛と言っても、いろんな愛があって、形があって、表現方法があって、熱量があって、人によって様々。

育ってきた中で、いろんな場面で愛を学ぶわけだけれど、親子でも、兄弟でも、男女間でも、愛情の取り合いになる。子は親の愛を自分に一番向けてほしいと思う。親の愛を得るために子供は頑張るのである。

しかし、子供の望む愛の形と、親の与える愛の形は必ずしも一致しない。

親が愛情をもって叱った時、子供は理解できなくて嫌われたと思って悲しんだり怒ったり落ち込んだりする。親に嫌われたと思ったら、自分に自信が持てなくなって、自分自身を表現できなくなったりする。これは結構後を引いて、大人になってもこのまま自信がない人も多い。自分を認められない人も多い。

愛されていると実感できた子供は、等身大の自分で自信を持って生きられる。

親が「この子なら大丈夫」と信じる心も子供を愛することである。

「この子はまだ心配」とあれやこれや手出しをして世話を焼くのは、エゴであり、自立に導けない。

過保護だったり、放任主義だったり、どちらも行き過ぎは本当の愛情とは言えない。

子供の頃、愛情をかけてもらっても受け取り切れなかった自信のない人が親になった時、自分の子供にも、その感覚は引き継いでしまう。子供の愛し方がわからない親もたくさんいると思う。そんな親に育てられた子供は、また同じように愛が分からないから、愛情表現が乏しくなってしまう。

そうすると大人になっても、人に対してどう愛情表現をしていいかわからない。

感謝の気持ちも素直に言えなかったり、感謝を伝えることすら思いつかない人もいるかもしれない。何をしてもらっても、やってもらって当然と思っているのか、それとも、やってもらうこと自体望んでないのか。自分のことは自分でやるから助けは無用、と思っているのかもしれない。

子供の頃に親の愛情をかけてもらえなくて育ち、感謝の気持ちが育たないということもあるのだろう。

 

愛情の熱量も、人によって違う。

愛情表現の熱量がふり幅が違うというのか。

たとえ、めちゃくちゃ大好きな人がいて、自分の全身100%で愛情表現をして、ぶつけられる人もいれば、40%くらいの愛情表現の人もいる。

そうすると、自分が100%愛情を注いでいるのに、40%しか返ってこなかったら、「愛されてないのかな」って不安になる。

でも、その相手がいつもの愛情表現が30%の人なら40%表現してくれたら、いつもよりめいっぱい頑張って表現してくれていることになるよね。

同じ量の愛情はその人は出せないんだって、理解して、それでも頑張ってくれていることをちゃんと受け取って上げられれば、40%の表現でも充分幸せを受け取ることができるよね。別に、もったいぶってるわけでもなく、愛が少ないわけでもなく、表現が苦手なだけなんだ。

自分が愛することが得意なら、愛されることよりも、100%の熱量で相手を愛すればいい。愛されていることを信じて。相手を理解すること、そして受け止めること。

ただ、愛情があって表現が下手なのと、愛情がないから表現してないのでは全然違うからね。また、人によって常識、普通が違うから、そして表現方法も違うから、そこの見極めは大事だし、難しい所。

 

だから、本当に理解するには、素直に相手に聞いていくしかないし、自分の気持ちを伝えていくしかない。言わなくてもわかってよ、というのは無理だし、逃げである。