自分に集中
彼と連絡が取れなくなって、会うこともできなくなって、神様から強制終了を告げられたようだった。宝物が取り上げられてしまったような気持ちだった。
私があまりにも「彼が彼が」と彼軸になって自分に集中できなかったからだろう。
いろんな人に、彼のことを言われたり、いろんなブログを読んで、解釈を学んだりした。
「こんなに頑張ってもうまくいかないのは、彼があなたの本当の相手ではないから。本当の相手だったらもっとスムーズに事が運ぶはず。」(ごもっとも。)
「振り向いてもらえない人を(自分を大事にしてくれない人を)いつまでも好きでいることは、自分に罰を与えていること。自分を大事にしていないということ。自分の可能性を閉じてしまっているということ。」(ごもっとも。)
「失恋なんてよくあること。さ、次行こ!次! 私なら3秒でやめるわ!」(友人談:切り替え早い。見習いたい)
「今、やっと自分で自分を幸せにする方法を身に付ける時。彼がいてもいなくても私一人でも満たされて幸せ!を体現できるようになる。ようやくスタートラインに立ったね」(え?これからスタートなの?涙)
「彼の(あなたを好きではないという)気持ちを大事にしてあげてください。それが彼を尊重するということ。そして彼(の気持ち)は自由。」(ごもっとも)
etc....。
いろんな人のいろんな言葉を聞いてるうちに、ようやく、彼がいない世界で生きていくんだってことを実感した。そうなんだよ。彼は何も悪くない。
彼は、私がこういう精神世界を学ぶためのきっかけになってくれた人で、もうその役目を終えたんだな。「ありがとね」と思ったら、彼から「はいよ~」と返事が来たような気がした。これでいいんだな。私は前を向いて歩こう。
自分でできる限りのことはした。結果は望んだものではなかったけど、でも、どうしようもなかった。したくても怖くてできないこともあったけど、もう取り返しもつかないし。そう、自分のできる限りのことはした、と認めて許し、彼への執着を手放そうと思った。
でも、そう簡単にはいかなかったけどね。
「彼が私に冷たいのは、私が私に冷たいからだ。彼が私を大事にしないのは、私が私を大事にしてないからだ。もし、私が自分を大事にすれば、きっと彼は私を大事にしてくれるはず。」と思い込み、まるで条件付きの修行みたいに、人参をぶら下げられた馬みたいに、なかなか手放せなかった。
「諦める」と「執着を手放す」の違いがなかなか理解できなかった。
それでも、少しずつ前に進むつもり。
彼への執着を手放すことと、平行して学んでいったことは、自分を信じるということ。
自己否定をやめ、自己肯定感が少しずつ上がってきてはいたものの、完全に信じるということはまだできなかった。そして、自分で自分を幸せにするとか、認めて許すとか、ありのままの自分を受け入れるとかもできたりできなかったり。
そして、大きなネックとなっていたのがお金に対するブロックだった。
お店はとても頑張って営業していたけれど、売り上げが落ちてくると、つい「お金が減る」というところに目が行ってしまい、「どうあっても大丈夫」「何とかなる」とは思えずに不安でいっぱいだった。お店が維持できなくなったら、たたむしかない、それだけは嫌だ。何とか頑張らねば。お店に対しても執着があった。
お店を楽しめなかったのは、この思いがベースにあったからなんだな。
必死だった。「自分のキャパを超えてがむしゃらに頑張って、倒れて、臨時休業」みたいなことを、年に何回かやった。何度も同じことを繰り返して、「今度こそは無理しないでやろう」と思うのに、いつの間にかまた戻ってしまっていて、ついやりすぎてしまう。私は、ついのめりこむ熱血派だからね…。
なぜ、頑張りすぎるとかというと、頑張ってない自分は価値がないと思っていたのだと思う。働かざるもの食うべからず、みたいな。頑張った分は報われると思ってたし、できる人でありたかったし。頑張ってない人、ラクしてる人は人生無駄にしてるとすら思ってた。(ヒドイ。でも頑張ってない人、ラクしてる人が嫌いだった。)
人の役に立ってこそ、自分の価値があるのだと。(他人軸)
お店はお客様の評価で成り立っていると。(他人軸)
自分がやりたいからやるのだ、楽しいからやるのだという、自分を信じる気持ちを忘れていた。(自分軸)
何度か繰り返して、ほとほと嫌になり、ようやく「頑張りすぎ」をやめようと決心した。自分のラクなペースでやる、自分の気持ちも身体も大事にする。
そう切り替えたら、なんと臨時収入があって、お金が減る恐怖から解放された。
本当にタイミングは完璧なんだな。
お金は必要な分は入ってくるんだな、と実感した。
本当はね、頑張ってない人、ラクしてる人がうらやましかったんだよね。それで生きていける人がうらやましかった。自分がそうなりたかったのにできなかったから。
自分がラクなペースでできるようになったら、羨ましさが薄らいでいった。
頑張っても頑張らなくても、何とかなるんだな、大丈夫なんだな、と自分を信じられるようになっていった。