ツインソウルは女性が諦めたら終わり
ツインソウルという言葉に惹かれて、自分と向き合っている女性は辛い思いをしている人が多いと思う。
人生修行のように、「どうしたら彼と統合できるの?」と思っているのではないだろうか。
「女性が諦めたら終わり」と私が思っているのは、彼のことを諦めない、ということだけではなく、「自分との向き合いを諦めないで」という意味である。イヤ、自分の体験から私が勝手に思ってるだけだからね。
彼との付き合いの中で、優しくされたとか、愛されたとか、感じる場面は少なかったのではなかろうかと思う。会えない時間も長いしね。愛されないかも、とか、もうダメかも、とか自信がなくなって、彼とのことを諦めたくなることも多いと思う。
でも、諦めないでほしい。絶対に。
男性は、女性が成長し、自分自身ありのままで生きられるようになるまで、無意識のうちにサポートをしてくれているのではないかと思うのだ。無意識なのだ。たぶん。
冷たくされたようで落ち込むことが多い女性も、その体験から気づきを得、成長することができるようになっている。男性はたぶん、サポートしていることにも気が付いていない。男性が相手の女性を意識するのは、女性自身の中身が統合された後、スイッチが入るのではないかと、私は思っている。
本当のパートナーなら、彼女の元へ戻ってくるだろうし、違うなら、他のパートナーが現れる。その新しいパートナーは、今の成長した女性に見合う男性なのだと思う。
だから、女性が自分自身を諦めないで、成長し、自分の中身を統合すれば、彼であっても、彼でなくても、幸せに生きられるようになっているのである。
一人でも満たされて幸せ、パートナーがいればさらに幸せ。である。
その後は天にお任せ。
もし、現実があまりに辛すぎて、「もういいや、諦めよう」と思ったら、そこまで。
そこそこ、めちゃくちゃ幸せでもないけど、めちゃくちゃ不幸でもない、当たり障りのない平凡な人生、これはこれで悪くないと思うなら、それはそれでよし。選ぶのは自分だからね。どちらを選んでも間違いではないのだ。後々、後悔することのないような選択をすればいいだけ。自分が何を感じて、何を信じて行動するかは、自分次第。たとえ誰に何を言われても、決めるのは、誰でもない、自分だ。
何をもって幸せとするのか、決めるのは自分だ。
「忙しい」「頑張る」に逃げない
自分自身に向き合うこと、一日の中で30分でも一時間でも、自分の心と向き合う時間を取れるといい。
自分が何を感じているか、何をどうしたいと思っているのか、何を恐れているのか、どんなふうにありたいか、などなど、何でもいいけど、自分の心を知ることはとても大事。どんな出来事があって、それを見て何を感じたのかな。自分は自分のことをどう見てるのかな。自分に言ってあげたい言葉はあるかな。
グルグル頭で考えるのではないよ。心で感じるんだよ。
幸せになりたいなら、自分のために少しだけでも時間を自分に投資しよう。
毎日、やることに追われ、「忙しい」「時間がない」と言っていると、なんか頑張ってやった気になってしまうんだけれど、本当に自分の幸せに近づくのが遅くなってしまう。それは、本人の自由だけれども。
私は、毎日お店の営業に追われ、仕込みや買い出しやその他もろもろ、やることいっぱい。つい、「忙しくて時間が取れなくて」と言い訳して、「今日は疲れたから寝よう。それが今の望み」とかなんとか言って、なかなか向き合うことができなかった。
いや、本当に疲れた時はもちろん休むことは必要だよ。疲れた時に無理しても意味がない。そして、楽しいことをやることも必要。気晴らしも必要。
でも、そういってなかなかやるべきことに手を付けられないのは、エゴの罠にはまっていることになる。
本心からなのか、怠けててやりたくないのか、本心ではわかっている。
「あ、今逃げてるな」ってわかるもの。
忙しさや、頑張ることに逃げないで、自分のために時間を作って、静かに過ごすことは大事だよ。
忙しい現実を作っているのは自分だよ。変えていけるのは自分だけ。
忙しさや、頑張ることから手を放そう。
一日のうち、30分くらい何もしない時間があっても、何とかなるでしょ。
忙しくない、頑張らない時間はとても貴重で有意義なもの。
朝でも夜でも、向き合う時間を習慣にしよう。
ツインソウルを知って得たもの
ようやく、自分がラクなペースで仕事をやろうと決心した。
すぐにはできず、何度も元に戻ってがむしゃらにやろうとしてしまうことにも意識的に気づけるようになって、ペースを落として「趣味のようにラクに楽しく仕事をする」と言い聞かせて、それに慣れていった。
何をするにも、身体に力が入っているな、息が上がっているな、と意識できるようになって、意識的に力を抜くことができるようになった。
本当に、慣れだと思う。
ムリ!と思っていたものが、できるようになってくる。
そうして、「できてもできなくても大丈夫、何とかなる」というのをちゃんと体験し理解し、信じられるようになってゆく。
このツインソウルのブログを書こうと思って、いろいろ読んでたブログや、ノートなどを読み返しているうちに、思ったことがあった。
ツインソウルという言葉はきっかけに過ぎない。たまたま私はこの言葉がきっかけになって自分を振り返ることになったが、人によってきっかけは様々、病気だったり、家族だったり、仕事を通してだったり。ただ違うだけである。
宇宙が何を私に伝えたかったのか、このプログラムを知って、何が大事なのか、自分がどう変わったのか、重要なのは彼と統合することの前に、自分自身の中身を統合し、本質の自分を知り、やりたいことを遠慮せずにやり、自信をもって、満足して、安心して、人生を満喫すること。充分命を活かしきること。それが全ての人に許されていること。年齢は関係なく。
人も自分も同じ価値があるということ。自分を知るために人はいてくれるのだと。人は成長したい生き物、幸せになりたい生き物なんだということ。そしてそうなれるということ。
人によって人生のテーマが違うから、やりたいことが違うし、皆が好きなことをやっても決してかぶらない、その人だけのオリジナリティーがある。
自分は宇宙の一部で歴史の一部であること。
いろんなことがぶわーっと浮かんできて、そうだったのかー、と納得したら、力が抜け満たされた気持ちになった。
私が何とかしよう、とか、彼をどうにかしたいとか、振り向かせたいとか、あの人は間違ってる正してあげたい、教えてあげたい、言うことを聞かせたい、等というのは、エゴであり、どろどろして重たいものがくっついている。それは見えないけど人に伝わるのである。もちろん、良かれと思ってしてあげることもあるし、全てが悪いことではないけれど。その気持ちの意図が大事だよね。
執着と手放し、ツインソウルのプログラムに組み込まれているけれど、これが本当に私にとっては難題だった。大好きで本命の相手だと信じているここと、手放しが両立するということがなかなか理解できなかった。
彼を好きでいるのは自由だけど、彼の自由も尊重する。好きだからこそ手放す。
本物でなければいつか気持ちは諦めがつくはず。
自分の力ではどうにもできるものではないから、やりたいことをやった後は、天にお任せするしかないのである。
そして、結果に期待しない。妄想しない。放っておく。どんな結果になっても受け入れる。
やったつもり、フリでは宇宙に通用しない。本気で本心で手放すこと。
つまり、彼よりも自分を信じること。そして宇宙を信じること。
今、ここまで読んでくださった方がいたとしたら、私のツインソウルと思われる彼とはどうなったの?統合できたの?今はどうしているの?と思われることと思う。
正直に言うと、この後再会できるか統合できるかどうか、私にはわからない。
彼が戻ってくるのか、別の人とご縁があるのか、予感もしない。
先の心配より、今に集中しようと思う。
ツインソウルを知って、一番の成果は、私自身の中身が統合できつつあること。(と思っている)
毎日がとても穏やかになった。前はあんなに必死で深刻だったのに。
人に対してもイライラすることがほとんどなくなってきている。
周りの人たちがとても良い人たちで、優しくて、面倒見が良くて、お世話になっていて、感謝の気持ちが自然に湧いてくるようになった。
目の前の現実は、自分の心を知る鏡という見方が分かってきた。
自分を信じられるようになってきている。こだわりがなくなってきている。ラクになってきている。
数年前の自分と比べると大きな成長である。
ツインソウルを知って、どういう道をたどってきたかを長々と書いてきたが、自分を振り返ることができてよかった。まだ道半ばではあるが、もう、ツインソウルという言葉も手を放し、卒業してもいいのかなとも思う。
せっかく読んでいただいたけれど、私が成功者ではなかった残念感を持たれた方がいるかもしれない。参考になる話はないかもしれない。お詫び申し上げる。
彼のライン未読スルーから、約3年弱。
彼との出会いから15年ちょっとくらい。ツインソウルを知ってから、6年半くらい。
本当に長い年月がかかった。そしてまだこの先も人生は続く。
この年月は私のであって、他の人はこんなにかからないかもしれないから比べないでほしい。いろんなことを経験して、失敗もあったし、なかなか変われないこともあったし、泣いたり辛い思いもしたけれど、今はとても軽くなって、平和で安心して満足して過ごせている。
ツインソウルのプログラムに出会えて、私はとても幸せだったと思う。
とても心から大好きになれる人に出会えたことも幸せだった。
そして、ツインソウルの言葉を教えてくれた占い師さん、そして頑固で堅物で、いつもごねてた私を諦めずに導いてくれたメンターさん、グチ泣き言を聞いてくれた周りの友人やお客様たち、そして私の鏡として大事なことを教えてくれた苦手だった人たち、そして大好きな彼にも感謝でいっぱいである。
これからは、ツインソウルの話ではなくて、また日常で自分が感じたことを少しずつ書いていきたいと思う。
ツインソウルという言葉に惹かれて、大変な思いをしている女性が少しでもラクになりますように。
どうしたらいいか?ではなく、自分がどうしたいか、がポイント。
自分に集中
彼と連絡が取れなくなって、会うこともできなくなって、神様から強制終了を告げられたようだった。宝物が取り上げられてしまったような気持ちだった。
私があまりにも「彼が彼が」と彼軸になって自分に集中できなかったからだろう。
いろんな人に、彼のことを言われたり、いろんなブログを読んで、解釈を学んだりした。
「こんなに頑張ってもうまくいかないのは、彼があなたの本当の相手ではないから。本当の相手だったらもっとスムーズに事が運ぶはず。」(ごもっとも。)
「振り向いてもらえない人を(自分を大事にしてくれない人を)いつまでも好きでいることは、自分に罰を与えていること。自分を大事にしていないということ。自分の可能性を閉じてしまっているということ。」(ごもっとも。)
「失恋なんてよくあること。さ、次行こ!次! 私なら3秒でやめるわ!」(友人談:切り替え早い。見習いたい)
「今、やっと自分で自分を幸せにする方法を身に付ける時。彼がいてもいなくても私一人でも満たされて幸せ!を体現できるようになる。ようやくスタートラインに立ったね」(え?これからスタートなの?涙)
「彼の(あなたを好きではないという)気持ちを大事にしてあげてください。それが彼を尊重するということ。そして彼(の気持ち)は自由。」(ごもっとも)
etc....。
いろんな人のいろんな言葉を聞いてるうちに、ようやく、彼がいない世界で生きていくんだってことを実感した。そうなんだよ。彼は何も悪くない。
彼は、私がこういう精神世界を学ぶためのきっかけになってくれた人で、もうその役目を終えたんだな。「ありがとね」と思ったら、彼から「はいよ~」と返事が来たような気がした。これでいいんだな。私は前を向いて歩こう。
自分でできる限りのことはした。結果は望んだものではなかったけど、でも、どうしようもなかった。したくても怖くてできないこともあったけど、もう取り返しもつかないし。そう、自分のできる限りのことはした、と認めて許し、彼への執着を手放そうと思った。
でも、そう簡単にはいかなかったけどね。
「彼が私に冷たいのは、私が私に冷たいからだ。彼が私を大事にしないのは、私が私を大事にしてないからだ。もし、私が自分を大事にすれば、きっと彼は私を大事にしてくれるはず。」と思い込み、まるで条件付きの修行みたいに、人参をぶら下げられた馬みたいに、なかなか手放せなかった。
「諦める」と「執着を手放す」の違いがなかなか理解できなかった。
それでも、少しずつ前に進むつもり。
彼への執着を手放すことと、平行して学んでいったことは、自分を信じるということ。
自己否定をやめ、自己肯定感が少しずつ上がってきてはいたものの、完全に信じるということはまだできなかった。そして、自分で自分を幸せにするとか、認めて許すとか、ありのままの自分を受け入れるとかもできたりできなかったり。
そして、大きなネックとなっていたのがお金に対するブロックだった。
お店はとても頑張って営業していたけれど、売り上げが落ちてくると、つい「お金が減る」というところに目が行ってしまい、「どうあっても大丈夫」「何とかなる」とは思えずに不安でいっぱいだった。お店が維持できなくなったら、たたむしかない、それだけは嫌だ。何とか頑張らねば。お店に対しても執着があった。
お店を楽しめなかったのは、この思いがベースにあったからなんだな。
必死だった。「自分のキャパを超えてがむしゃらに頑張って、倒れて、臨時休業」みたいなことを、年に何回かやった。何度も同じことを繰り返して、「今度こそは無理しないでやろう」と思うのに、いつの間にかまた戻ってしまっていて、ついやりすぎてしまう。私は、ついのめりこむ熱血派だからね…。
なぜ、頑張りすぎるとかというと、頑張ってない自分は価値がないと思っていたのだと思う。働かざるもの食うべからず、みたいな。頑張った分は報われると思ってたし、できる人でありたかったし。頑張ってない人、ラクしてる人は人生無駄にしてるとすら思ってた。(ヒドイ。でも頑張ってない人、ラクしてる人が嫌いだった。)
人の役に立ってこそ、自分の価値があるのだと。(他人軸)
お店はお客様の評価で成り立っていると。(他人軸)
自分がやりたいからやるのだ、楽しいからやるのだという、自分を信じる気持ちを忘れていた。(自分軸)
何度か繰り返して、ほとほと嫌になり、ようやく「頑張りすぎ」をやめようと決心した。自分のラクなペースでやる、自分の気持ちも身体も大事にする。
そう切り替えたら、なんと臨時収入があって、お金が減る恐怖から解放された。
本当にタイミングは完璧なんだな。
お金は必要な分は入ってくるんだな、と実感した。
本当はね、頑張ってない人、ラクしてる人がうらやましかったんだよね。それで生きていける人がうらやましかった。自分がそうなりたかったのにできなかったから。
自分がラクなペースでできるようになったら、羨ましさが薄らいでいった。
頑張っても頑張らなくても、何とかなるんだな、大丈夫なんだな、と自分を信じられるようになっていった。
少しずつ時間をかけて変わっていく
毎日、お店を営業しながら、空いた時間に自分との向き合い。
なかなか空いた時間というのを作り出せなくて、お店だけでとても疲れてしまってたり、落ち込みがひどくて向き合う気力がなかったりで、なかなか思うようには進まなかった。
自分がとても頑固だったというのもある。だって、長年自分が教え込まれて正しいと思っていたことと真逆の考え方だったから。認められないし、簡単に認めたくなかった。
それまでの自分が全部否定されているようで、悔しくて。でも、心の奥底では、そうだったらどんなにいいだろうか、なんて思いもあった。
自分では、今まで好きな海外旅行もたくさん行っていたし、好きなスポーツ選手を追いかけて楽しかったし、やりたいことやっていた。
そして、自分の夢を叶えて、お店を開店できて、仕事には自信が持てていると思っていた。お客様からも、「いいわね、夢叶えて、好きなことやって、自分の時間は全部自分で好きなように使えて、自由で楽しくていいわね」とよく言われた。
だから、うまく行っていると思ってた。
でも、気持ちはいつも余裕がなくて焦っていて、時間に追われ、お金に追われ、一杯一杯で疲れていた。
なんで好きなことをやってるはずなのに、こんなに辛いの?といつも思っていた。
そして、この学びをやっていって気が付いたのは。
自分はものすごくネガティブな人間で、自己否定が強く、自分を肯定できないでいたということ。そして、感情がふさがっていて、思考が働き、人をジャッジし、それによって自分を支えていた。とてもイヤな人間だった。こんなネガ人間だったなんて。
自分を大事にするとか、自分を愛するとか、わからなかったし、自然も動物も植物も美しい景色も、全然自分の心に響かなかった。好きなことにしか興味なく、他のことはどうでもよかった。
なんで、こんな人間になってしまったんだろう…。
っていうようなことを一つ一つ、過去の思い出をさかのぼって、傷を癒していくのだが、これがまた大変な作業だった。
こんなひどい人間な私が、大好きな彼の隣に、並べるわけがない…。相手にされるわけがない…。好かれるわけがない…。悲しい…って、いつも自分を卑下していた。
それでも、好きでいるのは自由だから、と、今まで会えなかった分、一回でも多く、会えるチャンスは逃したくないと思い、彼に会いに行っていた。いつまた会えなくなるかわからないもの。(前提が重くて暗いわ)
常に彼が中心で、せっかく学んだ自分軸も、すぐに戻って彼軸になってしまう。そんなにしょっちゅう会えるわけではなかったので、会える時間は貴重だった。余計な力が入ってしまう。会えていることは、学ぶことの弊害だったのかも。というか会えていることを学びに活かすことができなかった。
理想の自分と今の自分がかけ離れていて、いらだち、焦り、落ち込み、思い直してまたやり直し、の繰り返しだった。投げ出したくなる時もあった。もう彼のことは諦めよう、ツインソウルなんてないんだ、苦しい片思いの都合の良いストーリーに当てはめてるだけだ。妄想なんだ。もう私にはできない。と何度も思った。
本当に、本質の自分とは何か、考えたこともなかったから、今の自分から余計なものをそぎ落として、植え付けられた間違った価値観と前提を書き直し、自分はありのままでOK、と自分を認めることが本当になかなかできなかった。
書き換えるのって、「あ、そうなんだ、簡単に、シンプルに考えていいんだ」って軽く変わっていけばいいだけなのに、何でも深刻に複雑に考えることが当たり前だった自分には、簡単に変わる事さえ、ダメなことのように思い、罪悪感を感じた。
そんな間違った価値観を一つ一つ書き換えるのって本当にしんどい。
そうやって、何度も何度も指摘されて、新しいシンプルな考え方、軽くなる方法を学んでいった。
可能性を見るとか、
「ない」ではなく「ある」を見るとか、
良い悪いはないとか、
正しい間違いはないとか、
正しいよりも幸せであれとか
自己否定に意識的に気が付くとか、
考えないで感じるとか、
自分が出したものが返ってくるとか、引き寄せの法則とか、
鏡の法則とか、
何でも極端ではなく両方を認め受け入れニュートラルになっていくとか、
その他もろもろ、本当にたくさんのことを学んで小さなことから少しずつ身に付けて変わっていった。
ようやく、ありのままの完璧でない自分でもいいんだ、と自分を認めたり受け入れたりできるようになってきた頃、彼の仕事も順調に進んでいたらしく、実店舗を構えることになったと言っていた。もう、デパートや催事場に出店するのではなく、自分の城で販売するんだね。しかも、今ある会社の場所よりも、近くになる…。
自分らしくなればなるほど、彼との距離が物理的にも心理的にも近づく、というツインソウルの定義にはまっていて、嬉しくなった。
実店舗の開店祝いにお花を贈って。
近々お店に見に行きたいと思っていた。
ところが、彼は、実店舗にはいないとのこと。え?
どうやらお友達は一人で実店舗をやるらしい。彼は立ち上げまでのお手伝いだったのかもしれない。
これからどうするの?とドキドキしてラインを送ったら、未読スルー。
お友達が上げたインスタのお店の写真には、私が贈ったお花が映っていた。
なんだか、力が抜けてしまった…。
しつこく追いかけたから、逃げてしまったのかな…。
どこで何をしているのか、またわからなくなってしまったよ。
なんでこうなるの。ここから何を学べというの?
彼を好きな気持ちが大きすぎて、一生懸命すぎて、「そういう重くてめんどくさいのイヤなんだ。もっと気楽に軽くいこうよ」と、いつだったかそう彼に言われたことがあって、落ち込んだこともあったっけ。あー、もうこれから先、二度と会えないかもしれない。
「No!」と言われたら、悲しくて辛くて苦しくて受け入れがたいけど仕方ないって諦められたかもしれない。でも何も言わずに消えてしまうなんて。それ以上聞く勇気がなかった。以前告白して返事がもらえなかった時と同じ。ショックだった。やっぱり、嫌われてはいないけど、好かれてもいなかった。イヤ、これで嫌われてしまったかもしれないな…。ツインなんかじゃなく、ただの片思い、ストーカーだ。
ようやく、自分自身を認めて、受け入れて、肯定できるようになりつつあったのに。
以前、再会して彼が会社始めたと知って、販売所に会いに行くようになった時から、(私がきちんと自分と向き合って学ぼうと思った時から)、今回の彼がライン未読スルーになるまで、約3年が経っていた。
時間がかかりすぎるわ!!
地道にコツコツ
私はどちらかというと、思考型人間で、興味が外側に向いていて、今まで自分の感情を感じてこなかったので、自分の気持ちを客観視する、というのはとても難しく、最初から躓いてしまっていた。
正直、自分に興味がなかったのだ。自分を見るということに慣れていない。
よく、「自分に興味を持って、自分をよく観察してください、感情を感じてください」って言われたけど、難しかった。
イヤなことを感じた時は感じないように蓋してしまう。思考で分析してしまう。
心地よいことでさえ、感じて楽しむということができなかった。
例えば、整体に行って身体ほぐしてもらっている時、そこで流れている音楽を聴いて、「あ、このピアノはちょっと○○だな」とか、「このギターはもう少し△△のほうがいいのにな」とか、考えてて頭が休まらない。なので、音楽を切ってもらったりした。
分析と言えばかっこいいのだが、要はジャッジしたがりなのだ。文句付けたがり。
なぜこうなるのかと言えば、自分に自信がないからだ。自分は頭がいいと思いたかったんだろうね。人や物をつい判断してしまうクセがついていた。
長年体に染みついた考え方や、行動の仕方は、すぐには変えられない。
クセは意識しないとわからない。無意識のうちについやってしまうことは、なかなか治らないんだ。それを人に指摘してもらうことで、意識することで、直すことができる。
思考はエゴである。感情は本質の自分である。
今までとは逆の考え方をするのは、非常に難しいし、抵抗感を感じるが、それをやっていくしかないのである。
だって、今までのやり方で幸せではないのだから、違うやり方でやるのが幸せになる早道だよね。さっさと手放して、成功者の言うとおりにやった方がいいに決まってる。
自分の感情を客観的に見る、ということをやりながら、次にやったのは、過去の傷を癒していくということ。これは前にも記事に書いた。
今までを思い出して、嫌だったこと、気になったこと、人に傷つけられたり、傷つけてしまったことなど、細かいところまで一つ一つ書き出して、その時の自分が感じていたことを思い出して、癒してゆく。許していく。そこで得たものと失ったものをちゃんと理解する。そうして、それが自分に必要な出来事だったとわかれば、それでもうその思い出は手放しても良い。
全ての出来事は、自分の成長のために起こる。必要だから起こる。
若い時に、辛い経験が多いのは、後に幸せを体験するためである。辛さを知っているからこそ、幸せが何かわかる。辛いことがなければ、幸せもわからないから。
人によって人生のテーマが違うから、体験も違うので、不幸自慢しても意味がない。
過去の傷によって、抱えてしまった思い込みや勘違いを手放していくことが自分自身に戻るということなのだ。
人からの心無い言葉に傷ついたり、自分も人を傷つけてしまったりしたことがあると思う。もうあんな思いはしたくない、というようなことがあると思う。
そこにまた向き合うのはとても勇気が要ること。
でも、見ないようにして平気なふりをしていては、いつまでたっても傷は癒えない。
あえてチャレンジして、そこで何を感じたのか、どうだったらよかったのか、何を言いたかったのか、どうしてほしかったのか、何を言ってほしかったのか、なぜそれをしてしまったのか(理由があるんだよね)、そこで何が欲しかったのか、etc・・・。
きちんとノートに書きだして、一つ一つ細かいところまで思い出して、傷を癒していった。これは自分の気持ちをごまかさずにちゃんとやった方がいい。
ダメな自分を責めないことが大事。その時の自分はそれが精いっぱいだったんだって許してあげて。
それから、次にやったことは、自分と家族との人間関係の見直し。
家族構成や、親や兄弟がどんな人であったか、自分の立ち位置とか、どのような影響を受けていたか、どういう教育方針で育ったか、などなど。今の自分になった最初の人間関係は見直しが大事だとつくづく感じる。私は家族も皆仲が良く言いたいことも言えてたし、自由だったので、それほど問題はないと思っていた。
それが掘り起こしてみると意外と思ってもみなかった問題が出てくる。
子供の頃に感じていた気持ちが、今大人になってもかなり大きく影響しているということが分かる。これもまた、一つ一つ家族間の人間関係の影響を理解して癒していった。
毎日、お店で接するお客様に対しても、いろんなことが起こって、忙しい。
日常で感じる気持ちと向き合うことも大事だし、過去や家族との向き合いも大事だし、その間にもタイミングが合えば、彼の仕事場に出かけて行ったりしてたので、そこでも浮かれたり落ち込んだりして本当に忙しかった。
最初にこれをやって、次にこれをやって、次にこれをやって、とやることは増えてくるけど、やったことが完璧にできるようになっているわけではなく、つい後戻りして、できなくなってたりするので、またやり直しというようなことが度々起こる。
そんなにすぐに全部できるようになるわけではないのだ。
頭では分かったつもりでも、行動できてなかったり、気持ちの持ちようが変わってなかったりする。まぁ、それはわかってないってことなんだけど。
一足飛びにできるようにはならないけど、課題をやれば、少しずつ、少しずつ、理解でき、緩んできて癒され許せるようになる。
まだまだ、自分自身に戻るには先が長いのだ。
長年かけて今の自分を作って来たのだ、ひっくり返すには時間がかかる。
でも時間がかかっても焦らずやるしかないのだ。
自分の可能性を、自分の幸せを諦めないで。
コツコツと。
本当の自分を知っていく
彼に告白して、返事をもらえずにどん底に落ちたけど、それでも、こんな宙ぶらりんの状態から抜けたくて、諦めもつかなくて、思い切って勇気を出してメールしたら、彼から返事が来た。
そして、私はツインソウルについてちゃんと学ぼうとセッションを受けることにした。
ちゃんと行動に移したら、現実が動いて行った。
なんと、彼と再会したのだ。
彼は友人と会社を興し、某雑貨の販売をしていた。
お店は常設ではなく、百貨店だったり、駅前市場だったり、ランダムにあちこちに出店していたので、スケジュールをHPで確認して、会いに行ったのだ。
全く想像もしてなかった形での再会。
最後に会ってから、1年弱が過ぎていた。
久しぶりに会えて嬉しかった。まるで告白などなかったかのように、普通に楽しく話ができて、顔を見れているだけで幸せ~、となる。
こうして、数か月に一度、販売のスケジュールと自分の店の定休日が合う時に、彼に会いに行った。お差し入れも持って。もちろん、商品も買っていたよ。自分の浮かれ加減にあきれるよね・・・。
ツインソウルの学びを初めたけど、その学びを頭では理解できても実践するのは難しかった。最初にやったことは、自分の感じている気持ちを客観視することだった。
自分と向き合うなんて、まるでしてこなかったから、まず自分の気持ちがよくわからない。自分が日頃、どんなことを見て、何を聞いて、どんなふうに思うのか、どんな感情が湧いてくるのか、をノートに書いていくのだ。
でも、つい頭で考えて言い聞かせてしまう。こういうことが起こるのは、きっとこういうことを学ぶために起きたんだ、などと勝手にいいように分析してしまうのだ。
日々、お店を営業していく中で、苦手で嫌いなお客様が多くて、本当の気持ちは「イヤだ」「もう来ないで」などと思っているのに、「せっかく来てくれているお客様になんてひどいことを思っているんだろう」って自分を責める。
なぜなら、「ツインソウルで統合するときには、嫌いな人はいなくなります」というブログの記事をどこかで読んだからだ。
「嫌いな人がいるうちは統合できないんだ」「嫌いな人がいちゃダメなんだ」「嫌いな人が来なければいいのに」「だから排除する」とお客様の来店を断ったり。ムリヤリ、嫌いな感情をないことにして、見ないようにして、ムリに好きになろうとしていた。この「嫌い」の執着を取るのもものすごく難しかった。
今思うと全くの勘違い。お客様にも自分にもひどいことをしていたなぁと思う。申し訳ないことをしていました・・・。反省。
本当はね、嫌いな人がいてもいいんだよ。
嫌いな人の、どこが嫌いか、何が嫌なのか、どうだったらいいのか、自分も同じことを他の人にしていないか、自分も同じことを自分にしていないか、している自分を認めること、なぜ自分がそれをしてしまうのか、それでもいいと自分に許すこと、もうしないように気を付けるとか。その人から、たくさん学ぶことはあるんだよ。
そういうことを日々の中で繰り返し感じながら、自分の気持ちを少しずつ見れるようになっていった。そして正直に感じていることを認めていく練習もした。一般的にダメだ、悪いと思われている感情も、感じていいんだと許していった。
もちろん、イヤなお客様ばかりではなく、とても好きなお客様もいる。
優しい人もたくさん。助けてくれる人もいるし、話を聞いてくれる人もいる。
そういう人にも改めて感謝した。
それが、自分を知っていくということなんだよね。
自分を知っていくということは、本質の自分自身に戻っていくということ。
ムリして違う自分を装っていたことを、手放していくということ。
自分が本当の自分との距離が縮まっていくと、彼との距離も縮まっていく。
彼のことは少しずつ近づいているのかな?
海外に行ってて、どこで何をしているのかまったくわからず、何年も音信不通だったこともあったけれど、こうして彼は日本で仕事をして、どこにいるかもわかって、会いたいと思えば、数か月に一度でも、会いに行くことができる。
以前に比べたら、格段に近づいていると言えるよね?