満ち足りて優しく生きるための覚書

自分を好きになる、自分に生まれてよかったと言える、満足して、自分にも人にも優しくなれる、そんな人生にしたい。

自分の常識と人の常識は違う

常識、普通って、人によって違うもの。

生まれた場所、育った環境、親のしつけ、経済状況、それぞれの立ち位置などなど、みんな違うから、常識とか普通とか当たり前って、みんな違ってくるのは当然のこと。

良く、「そんなの常識」「当たり前のことじゃん」「普通そうするでしょ」みたいな会話があるけれど、自分の常識と人の常識は違うんだよね。そんなことわかってるよ、と思うだろうけど、わかってない。自分の常識が通じると思っている。だから、自分の思い通りにならない人を見ると頭にくる。腹が立つ。見下したりする。

 

自分としては、「こういう場合はこうするのが当然でしょ?」と思っていることでも、相手はそう思ってない場合がある。そういう時、「なんて非常識な人なの?」って怒りを感じたり、悲しくなったりする。でも、相手からすると、そんなこと全く考えてなかったりする。「それをやって当然」と思っていないからである。

何で怒ってたり悲しんでたりするのかわかってなかったりする。

 

常識とか、普通とか、当たり前が通じない時、きちんと話すことが大事。

思いやりをもって、相手の立場に立って考えた時、今までは気が付かなかったけど、言われてみれば、「なるほど!そういう考え方もあったのか」と理解できることもある。

逆に、何度話しても理解しあえないこともあるかと思う。

それは仕方のないこと。だって、育った環境、しつけ、教育、体験その他もろもろが違うんだもの。でも、理解できなくても、その人がきちんと話してくれれば、誠実に話してくれれば、合わないことも許せるような気がする。

ちょっと想像力を働かせてみよう。

お互い、譲歩しあうことも大事。譲歩というより、少しだけ相手に寄り添う感じ。

全部でなくても、少しずつ寄り添い合うことができたら、今まで自分の中になかった考え方を取り入れることができるかもしれない。

いろいろな考え方ができるようになると、器が大きくなる。

 

もし、話しても寄り添い合うことが難しそうなら、相手の好きにさせて放っておく。

相手をコントロールすることはできないからね。

違うということを認めて、尊重しあうというのかな。

自分の心身の健康安全を最優先にして、合わない人から離れるというのもあり。

離れた後で、落ち着いたら、そこから何を学んだのかを考えてみよう。

 

自分と考え方の違う人は、自分の成長にとって、とても大事な人。

合わない人は排除、ではもったいない。