過去の傷を癒す
今まで生きてきて、大変だったこと、辛かったこと、悲しかったこと、恥ずかしかったこと、あんな思いはもう二度としたくない、というようなことが、一つや二つあるだろう。小さなものまで含めたら、数えきれないくらいあるだろう。
そう、もう二度と見たくないからって、心の奥底に閉じ込めて、蓋をして、もう出てこないように重しをいっぱい乗せて、忘れてしまった。忘れたことにしたかった。
でも、忘れたふりをしても、何かあるごとに、ふと、イヤーな感じが奥から上がってくる。
でも、あまりにも重たい重しでふさいでいるから、それが何だったのか、思い出せない。でも、モヤモヤは残っている。なんだったっけ、この嫌な感じ。
あ、でも、もう見たくないから、触れたくないから、知らぬふりをしよう。
直視したら、この痛みに耐えられないから…。
そうやって、奥底に眠った傷ついた心が、「まだ癒されてないよ」って、「まだここにあるよ」って気づいてほしくて、何か問題が起こるのである。
その問題によって、刺激された心の痛みが疼いていて、解放されたがっている。
解放されて、手放せたら、どんなにか楽になるのに。
でも、どうやって手放したらいいの?
もちろん、人によって、生まれてきた目的やテーマが違うし、役割も違う。
だから、今まで味わった大変なことも、辛さも悲しさも恥ずかしいことも、みんな違うから、「同じ体験をしてない人に、私の辛さが分かるわけがない!」って思うかもしれない。
「わかるよ、その痛み」と言っても理解しきれることはない。
でもね、違うことでも、辛さを体験したことがある人は、その痛みに寄り添うことはできるよ。
もし、自分しかわかってあげられないというのなら、自分がその辛さに寄り添ってあげてほしい。
見ないふりをして、なかったものにして、追いやってしまうのではなく、そこにあることを認めてあげて、しっかり感じてあげる。
辛いことをまた味わうのって、怖いのはわかるよ。耐えられないかもしれない。
耐えられなかったら、無理しなくていいよ。少しずつでいいよ。小さなことからでいいよ。でも、少しずつ見てあげてほしい。
体験したこと、辛かったこと、問題の中には、『必ず』プラスの面とマイナスの面がある。そして、その時感じていた自分の感情も正直に見ていく。
その体験は、「悪いことばかりで、いいことなんか一つもなかった!」って思うかもしれないけど、そのことがあったおかげで、学ぶことができたこと、得ることができたものは必ずある。「そんな体験でなくてもよかったのに、なぜ?」と辛く悲しく思うかもしれない。
でも、きっと「自分がこれを知りたい学びたい」と思ったことを、一番わかりやすい形で神様は示してくれているのではないかと思うのである。
それを好きになろうとしなくていい、イヤなままでもいい。でも、「このことを理解するために、この体験があったんだな」って思えたら、その時、ようやく、その体験は過去のものとなり、許せるようになる。そして手放せるようになる。一度にきれいになくなるわけではない。時間がかかるかもしれない。けど、諦めないでやる。
私は、過去振り返ってみて、後悔したり、辛かったり、恥ずかしかったり、悲しかったり、嫌だったことを、思い出せる限り、大きなものから小さなものまで、ノートに書きだして、一つ一つ、クリアにしていった。このコツコツ地味な作業は正直大変だった。でも、絶対にやる価値がある、と今は言える。
本当は、体験したくなかったこともあるだろうけれど、過去は変えられない。
過去の捉え方を、自分の意識を変えるしかない。
「もう、得るものを得たから、このことからは卒業しよう」と思えるようになったら、傷は癒されて、自分の心が少し軽くなる。
もう、このことで苦しみたくない、と思ったら、「そうしてもいいよ、忘れていいよ、もう卒業しよう!」と決めて、手を放そう。解放しよう。
本当に自分が望んでいたものは何だったのか、それによって得たものが何だったのか。「本当の自分を知って、本当の自分に少しずつ近づいていく(戻っていく)、ということは、楽しいことなんだよ」と言われた言葉が今も心に残っている。