満ち足りて優しく生きるための覚書

自分を好きになる、自分に生まれてよかったと言える、満足して、自分にも人にも優しくなれる、そんな人生にしたい。

出来事には必ず良し悪し両面がある

良いことが起こると嬉しさや楽しさを感じ、心からよかった、と思う。

逆に何か問題が起こった時、辛かったり悲しかったりモヤモヤしたり、イライラしたり、心がどんより重くなったりする。

自分にとって良いことでも悪いことでも、自分が成長するために必要なことが起こるのである。自分の成長レベルに合わせて、タイミングぴったりの時にそれが起こる。

そこから学ぶことがあるということだよ。

もちろん、過去のことでも同じ。

過去、問題が起こった時、なぜそれが起こったのか、そこから何を得たのか、何を失ったのか、あまりにも辛くて直視できずに心の奥底にしまい込み、忘れようとしてたかもしれない。でも、忘れることはできないよね。

過去を振り返って思い出すことがある時、まだその出来事を受け入れられない時、どんなに年月が経ってもモヤモヤする時、もう手放してしまいたいと思った時、どんなに辛くてももう一度しっかりと見直すことが必要。

出来事には、必ず良い面と悪い面がある。どちらかだけしかない、ということは絶対にない。「辛かった出来事に得るものなんてない、良い面なんかない!」と思うかもしれない。でも、その辛かった思い出の中に、例えば、支えてくれた周りの人の愛情を感じられたかもしれない。一人じゃなかったって思えるかもしれない。どんな些細なことでもいい、その起こった出来事から良い面を感じてみてほしい。

時間がかかってもいい。ゆっくりでいい。焦らなくていい。

その出来事があったおかげで自分はこういうことがわかった、理解できた、得ることができた、というプラスの面が必ずあるはずなんだ。

その為にそれは起こったのだから。

同じようなことが起きた時、自分の成長具合によって、得られるものが違う。そして、正解はない。自分が感じる事が正解なのだ。人と比べなくていい。

 

私は、たまに同じようなことが起こった時、螺旋階段を上っているようだと感じることがある。螺旋階段をのぼりながら、同じ景色を見る時、前に見た時よりも一段上がっている。同じものを見ているようで、前より少し上がっているのである。だから、同じようなことが起こっても、前とは感じることとか得るものが違っているはずなんだ。

前はこういうことに気が付いた、今回はその部分とは違う別の部分に気が付くことができた、となればどんどん自分の器が大きくなる。

以前は許せなかった人の言葉や行為が、今は理解できたり、許せたりすることもある。

 

過去の出来事を振り返って、「このことを理解するために、この出来事を体験したんだな」と思えたら、もうそこにこだわらないで、ただあったこととして卒業することができる。と思う。長くこだわっていると、その分執着が取れなくなって、自分の幸せから遠ざかってしまう。もう、そこに痛みや悲しみを感じないでいい、と自分に許してあげよう。もう、流してしまおう。