悲劇のヒロインをやめる
ついつい、自分が悲劇のヒロインになってしまう人がいる。
私ってこんなにかわいそう。
私はこんなに大変なの。
私はこんな辛い思いをしています。
私はこんな大病をしました。
私は誰にもわかってもらえないの。
などなど。
そんな不幸自慢をする人がいる。
人生、大変な思いをしない人なんていない。
口に出せるうちはまだマシなのかもしれない。
なぜ、そう言いたくなるのかというと、そういって悲劇のヒロインになることで、人が自分を見てくれると思っているから。「大変ね(大変だったね)」と優しい言葉をかけてもらえるから。そうすることで、同情を得られる、大事にされる、愛されると勘違いしているのである。
たまに言うなら、同情もするが、いつも毎回同じような話だと、ちょっとうんざりしてくる。話を聞きたくなくなる。避けるようになる。
人に話す方は、話して気持ちがすっきりするかもしれないが、話を聞かされる方はたまらない。
不幸自慢、悲劇のヒロインは、自分で自分を落としているんだよ。
自分が話した言葉は自分の耳で聞いている。
不幸が自分の中に刷り込まれていくよ。
そして、そのサイクルから抜け出せなくなる。
ちょっとしたことでも大げさに話す癖がついてしまう。
自分で自分が嫌になってしまう。
そんな時は、あまり深刻に考えすぎないことである。軽く軽く、流してみよう。
真剣に考えるのはいい。でも、深刻はダメだ。
一時期大変だったり、辛かったり、悲しかったりしたかもしれないけど、そこにとどまるのはやめよう、って意識して決めることだ。
気持ちが重すぎると、その雰囲気が周りに伝わって、どんよりしてしまうよ。
「私ってなんてかわいそうなの?」って悲劇のヒロインをやっていると、グルグルと同じ場所で足踏みして、抜け出せなくなる。
悲劇のヒロインを演じているうちは、幸せには近づけないよ。
人から愛をもらおうとしているから。何とかして、誰かが自分を救い出してくれるのを待っているから。
でも、本当は自分が立ち上がるしかないのだ。
少し、考えるのをやめて、休んでみよう。気持ちも体も。
本当は、自分がどうなりたいか、感じてみよう。
悲劇のヒロインでいたいはずはないよね。
ハッピーエンドに向かいたいよね。
悲劇のヒロインでいるのは、最後は幸せになりたいからだよね。
きっと、なりたい自分の姿は見えているはず。
イメージできることはそうなれるということ。
頭だけではなく、身体全体でそうなっている自分をイメージする。
そして、そのように行動してみる。
初めは難しいかもしれないけど、だんだん慣れてくるから。
そのようにふるまえるようになるから。
大丈夫、何とかなるから。
気持ち、軽くなろう。