満ち足りて優しく生きるための覚書

自分を好きになる、自分に生まれてよかったと言える、満足して、自分にも人にも優しくなれる、そんな人生にしたい。

なんだか乗り気がしない

何かをやろうとしても、どうしてもやる気が起きない、乗り気がしない、気が進まない時がある。なぜなのかわからないけど、重い腰が上がらない時がある。

そんな時は、ムリに何かをしなくてもいい。

気持ちも体も休みたいと思っているのだ。

だから、何もできなくても罪悪感を感じることなく、休めばいいのだ。

先日書いた、逃げててやる気が起きない、という時もあるけど、それでも、何もしたくない時はどうしようもない。休む。

その休んだことによって、引き起こされるであろう結果にも責任は持たなければいけないけどね。どうなるかは、想像できるはずだから。

 

以前、私は、店の朝の準備で、ホールケーキのカットをしなければいけなかったのだが、乗り気がしなくてできなかった。朝、カットしておけばいいのはわかっているのに。

でも、どうしてもやる気にならず、もしかしたら、ケーキ出ないかもしれないし、もしオーダーいただいたらその時カットしよう、と思った。できればオーダーが入りませんように、と願いながら。

でも、そういう風に意識が向いていることは、現実に起こりやすい。

案の定、そのケーキのオーダーが入った。

お客様には「これからカットしますので、少々お時間がかかりますが宜しいでしょうか?」と聞くと、待つという。

それで、そこからケーキをカットしてお出ししたのだが、時間がかかってだいぶお待たせしてしまった。

申し訳なかった。自分が朝、カットしたくなくて、手を抜いたせいで、お客様に迷惑をかけ、お待たせしてしまった。こうなることはわかっていたのに、なぜ、朝カットができなかったんだ、ダメな私。と罪悪感を感じて、自分を責めた。

こんな小さなできごとだけど。

 

それを別のお客様が見ていて、言ってくれたんだ。

「朝、ケーキカットをするのがどうしても乗り気がしなくてできなかったことは、自分の気持ちに従ったのだから、悪いことではない。

そして、お客様のオーダーが入ってからカットすることになったことも、お客様は「待つ」と言ってくれて、待ってもいいから食べたい、というお客様の素直な気持ちだからそれでいい。待ってる間、お客様はお友達と話が盛り上がってて、待ってることを気にしていなかった。

誰も悪くない。誰にも迷惑かけてない。誰もあなたを責めていない。

あなたを責めているのはあなただけ。責める必要はない。

だから、朝、乗り気がしなくてケーキカットができなかったことは、悪くない。ちゃんと、なんとかなってる。うまく回ってる。」

 

そりゃ、お待たせしないでスムーズに提供できるのが一番いいことだけれど。

結局、お客様は、ケーキを食べれたことを喜んでくれたし、待たせたことを怒ってもいなかった。問題はなかった。たまたま運が良かっただけかもしれないけど。

本当に、責めていたのは私だけだった。

そこまで深刻に自分を責めなくてもよかったんだね。

「なんとかなってる、うまく回ってる」と言われてほっとしたし、なるほど、とも思った。

こういうことに気が付かせてくれるために、こういうことが起こったんだな、と思った。

何年も前のことなのに、今でも鮮明に思い出す。

そこから、少しずつ、自分の気持ちに従って動くことを意識するようになった。

それが自分を大事にすること。

乗り気がしない時は、ムリしないで休む。

休んだ後、元気になったら、それをする時間はちゃんとあるから。ちゃんとできるから。

 

自分を責める、ということについてはいつか改めて書こうと思う。