否定グセを意識的にやめる
私は昔から、否定グセが強かった。
何につけても否定から入る。
でも、だって、どうせ、それはダメ、できない、無理、やりたくない、めんどくさい、好きじゃない、行きたくない、などなど、すぐに否定的な言葉が出てしまうのだ。
そして、自分のことだけでなく、人のことも否定していた。
人が買ってきてくれたお土産を、「こんなの好きじゃない」とか言ってしまったり。
人が好きだというものを、「えー?私はそれキライ。私はこっちが好き」と言ってしまったり。
「やってみたらどお?」と勧められたものを、あれやこれやできない理由を見つけて言い訳してやらなかったり。
「その服素敵ね、似合ってるね」と言われても、「そんなことないよ」と言ってしまったり。
ある時、人から、「あなたは人を全然褒めないね。」と言われてショックを受けた。
そんなこと全く自分では気が付いてなかった。
人の良い所は認めて褒めてるつもりだったが、それが極端に少ないのだ。
それって、人を認めてないし、人に厳しいし、そして自分にも厳しかった。自分のことも認めてなかった。(それは前回書いた通り)
少しできただけではできたうちに入らない。このレベルまでできないと認めない、みたいなところがあった。ついつい人の良い所より悪い所のほうが目についてしまう。
なぜ、そうなってしまうのか。
人のダメなところを見て、自分のダメさ加減は「まだマシ」と思いたかったからなのかもしれない。
自分を否定するのは、自分に自信がなかったから。
自分を「まだまだ」と思っていたから。
というよりも、自分の価値を認めていなかったから。
「どうでもいい」と自分を諦めていたからかもしれない。(でも自分では無意識だった)自分をどうでもいいように扱っていた。
ということにさえ、自分では気が付いていなかったんだ。
心の勉強を始めてから、「意識的に否定グセをやめる」ことを言われた。
こういうのって性格だから直らないよ、と思っていたけど、クセは直せるんだって。
クセって、無意識にやっていることが多いから、自分では気が付けない。
でも、意識すれば、直すことができる。
自分で気が付けなくても、他人から客観的に見てもらうとわかりやすい。
そうして自分を見ていくうちに、何かを言った後に「あ、今、また否定してたな」と意識できるようになった。
そして、「ない」を見るのではなく、「ある」を見るようにと言われた。
「不可能」より「可能性」を見よう、とも。
長年沁みついたクセを直すのは容易ではない。
でも、地道にコツコツと、意識して、修正するように心がけた。
言葉遣いもポジティブないい方で表現するように気を付けた。
望みも「○○しませんように」という望みは叶いにくい。
同じ内容でも、「△△しますように」という表現に変えるようにすると叶いやすい。
例えば、「仕込みが終わるまでお客様がきませんように」というよりも、「仕込みが終わって準備ができたらお客様が見えますように」とか「大丈夫、仕込み間に合うはず」とかに変えたり。
仕込み間に合わなくても、どうにでもなんとでもなるし、大丈夫、と、今では思えるようになった。
その頃は、何でも、完璧にしたかったから、仕込みもオープンする前に全部完璧に準備したかったんだ。できなかった時はものすごくドキドキして、心配してた。
でも、そんなドキドキも必要なかったんだよね。
「ある」を見るようにしたら、なんだか少しずつ人の思いやりとかを感じられるようになってきた。
お土産やお差し入れをもらった時に、「あぁ、旅先で私を思い出して、何がいいかなって選んでくれたんだな」と情景が浮かぶようになったり。
褒めてくれた言葉をありがたく受け取ったり。
人が好きなものを否定せず、「そうなんだ~」って、なるほどと思ったり。
なんだか、気持ちが少しずつほぐれて、柔らかくなって、楽になってきた。
ありがたいな、って思えるようになってきた。
だいぶ時間はかかったけどね。
人を認めたら自分が低くなるわけではないよね。
そもそも人と比べることはないしね。
否定グセは意識すればやめられるんだって、大きな声で言いたいよ。
そして、これも時間をかけて慣れていくことが大事なんだよ。
少しずつ慣れていけば、そのうちこれが当たり前になるから。
「ダメ」「ムリ」「できない」って言葉が出てきたら、「本当にそうかな?」ってちょっと譲歩してみてほしい。もしかしたらできるかもしれないよ?
「やりたくない」って出てきたら、「ちょっとならやってみてもいいかも?」って緩めてあげてほしい。
自分に優しくしてあげてほしいな。自分の可能性を見てあげてほしいな。