人の役に立とうとしなくていい
自分が本当にやりたいことをやっていれば、それが自然と人の役に立っている。
人はみんな違って、やりたいことが違う、と前にも書いた。
そして、やり方はその人オリジナルのやり方になる。
人のまねをしたって、自分の特徴が出るもの。
自分が楽しくやっていることが、カギ。
自分の価値が分からない人は、人の役に立つことで人に認められようとする。
「これだけ自分は役に立ついい人なんだから、嫌われないはず」
と私は以前、このように思っていた。
嫌われないために、人の顔色を窺い、人に尽くし、自分自身がまるでなかった。
人の役に立つことで、自分の存在価値を保とうとしていたのだ。
人に尽くせば、感謝される。必要とされる。その為にやっていたようなものだ。
人の愛を得るための手段として、人に尽くすのは違うよね。
それは自分に無理させていることになる。自分がやりたくてやっているのでなければ、自分がすり減ってしまうよ。
本来、人は、人の役に立とうとしなくても、そこにいていいんだよ。
役立たずでも、存在していていいのだ。
何もできなくてもいいのだ。
何もできないって、自分を卑下しなくてもいいし、小さく縮こまって生きることもないし、申し訳ないと思う必要もない。
人が何と言おうとも、関係ない。
人の言葉で自分の価値を決めないで。
人は、やりたいことがみんな違う。できることもできないことも違う。
だからいいんだよ。人と被らないから、自分のやりたいことは自分のオリジナルなんだ。自分のやりたいことをやれば、自然とそれが人の役に立ってるんだよ。
計算じゃなく、心からやりたいこと、やるんだよ。
できないことは悪いことじゃない。
できないことは人に助けてもらおう。人を頼っていいよ。迷惑かけるのが嫌、なんて思わなくていい。自分一人でやらなきゃ、なんて思わなくていい。
人は喜んで助けてくれるよ。人は、人を助けることができたら、その人の役に立てて嬉しく思うはずだよ。
できる人ばっかりだったら、助ける人はいらなくなるもんね。
助ける喜びを味わうことはできないよね。
心から自分のやりたいこと、やろう。
心からやりたいこと、自分が楽しんでできること、満足できること、やろう。
そしたらいつの間にか、人の役に立ってる。